2011年04月27日

Good-bye Morning


ソウルからの帰りの機内で「ツーリスト」を観ました。

ツーリスト.jpg

ハリウッドを代表するトップスター、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーを起用した話題性だけの、つまらない映画かと思いきや、けっこう引き込まれてしまいました。

あっという間に羽田に着いたので、ほとんど導入部しか観れませんでしたが。



それで同じアンジェリーナ・ジョリーのスパイ映画「ソルト」を、消化不良解消のため後日DVDで観ることにしました。ストーリーに起伏があり、思わぬ展開があったりしてこれも超面白かったです。



邦画もDVDで観ました。日本アカデミー賞最多受賞、5部門を戴冠した「悪人」。
う〜む。ハリウッドに比べるとやけに貧乏臭くリアルすぎて、ちょっと引けてしまいます。

しかし、とてもよくできた映画でした。ただ、これは救いのない映画でもありました。
もうひとつ全編に流れる何かスパイスのようなものと、ラストに希望の光が欲しかった気がします。



観たくて観たくてしょうがなかった映画、「GANZT PERFECT ANSWER」は、リリース2日目の日曜日に観ました。

仕事が東新宿なので、そこの客先から、新宿ピカデリーまで歩きました。
それで9時半のガンツ開始にやっと間に合いました。


GANTZ2.jpg


ホントに久しぶりな新宿ピカデリーで、2つびっくり!

一つは劇場のビルや内装が大きくてきれいなこと。
薄青いガラスの外観、白い清潔なインテリア。

もう一つは、朝からめっちゃ混んでたこと。
チケット売場や売店のあるフロアーは人でごった返していました。

チケットもやっと買えましたが、前から4番目のスクリーンを見上げるような席しか空いてませんでした。


僕の隣の席は20代後半ぐらいのカップルで、ガンツが始まるまでずっと、どこへ行くか、何をするか、何を買うかなど楽しく予定を立てていました。こういう前向きな恋人同士っていいですね。わがことのように微笑ましくなりました。


ガンツは超面白かったです。ネタバレになるので、自分の感想を今ここに書くことはできませんが、あえて言うなら吉高由里子の最後の表情がストーリーの総括を物語っていました。

ただ、パーフェクトと銘打ってある割には、謎がずいぶん残ってしまい、ハーフアンサーぐらいにして欲しかったです。

ってゆーか、3作目を作ってそこで完璧に謎を解いて欲しいです。





新宿三丁目の航海屋でラーメンとチャーシュー丼を食べ、再度東新宿の客先に向かいました。

その日は初夏の陽気。ジャケットを脱いで歩きました。時間はまだ小一時間あるので、フレッシュネスバーガーでオーガニックコーヒーを飲むことにしました。

フレッシュネスバーガー.JPG


フレッシュネスバーガーのテラス席は満席です。陽射しがまぶしく、街路樹は新緑のイチョウ、根元にはツツジが咲いていました。

僕の横の席に皮ジャン、スリムな黒のパンツにハイヒールの女性がやって来て、ひざを組んで座りました。超かっこいい!日本も捨てたもんじゃないなと思いました。(*^□^*)




帰宅してから、ミュージックフェアを観ていて、度肝を抜かれました。こんな超魅力的な歌手がいたんですね。もとMi−keの宇徳敬子さん。





それからというもの、同じ時代の、岡村孝子や浜田省吾、岡本真夜 、ZARD、織田哲郎なんかを、YouTubeで何度も聴いてしまいました。



織田哲郎といえば、下北沢を近藤房之助と歩いているとき、ストーリーミュージシャンの若者2人が生ギターで演奏しているのに足を止めました。
するとその彼らの目に留まり、一曲披露するはめになったのです。

観衆の手前、やらざるをえない空気になり、ビートルズを演奏しました。
そしたらやんやの喝采で、すごいお金が集まりました。それを若者のギターケースにそのまま入れました。

若者二人があわてて「そのお金は受け取れません」と断ったそうです。
「だって、織田さんたちの演奏じゃないですか」と。

すると織田と近藤は「いや違うよ、君たちのギターが稼いでくれたお金なんだよ」と軽く言い放って風のように去って行ったとのことでした。

友達から聞いた実話です。かっこいいね!




寝るときは、最近、携帯を枕元に置いて寝るようにしています。地震速報が必要だから。

なぜなら僕のふとんの両側は、重くて背の高いタンスと本棚なんだ。



そして就寝前、枕元のスタンドの淡い光の中での読書は、僕のささやかな至福のひとときです。

いま、吉村達也を読んでいます。面白いです。なんか感性が合うというか、文体は若くて適度にアカデミックで、洒脱で、彼の文庫本は全部持っています。僕の数少ない自慢のひとつ(*^。^*)。

吉村達也2冊.JPG


朝が早いので、適当に読書をやめ、睡眠に入ろうとしましたがその日は強い風と雨がガラス窓を叩いていて、なかなか眠れませんでした。

それで、先ほどYouTubeからコピーした宇徳敬子さんの「Good-bye Morning」を何度も何度もリピートしてふとんの中で聴いていました。いいな〜。すっかりファンになりました。



翌朝は、TOKYO FMの5時台のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」が楽しみです。いつも選曲が良く、目覚ましには最適ですからね。


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2011年04月25日

シンガポール・シーフード・リパブリック


この時季、牡丹桜がきれいに咲いてると方々で言ったら、そんな桜ある?と言われました。

・・・そうか、八重桜だ!でも同義語なんですね。

日大習志野.JPG



習志野のほうの大学構内の八重桜に感激してたら、サザエさんの街、桜新町の並木も立派でした。

桜新町.JPG


               *******


 今、朝出るときコートを着ていくべきかどうかですごく悩みます。

三寒四温って、三月下旬から四月はじめの季節と思っていたのに、四月いっぱいこんな感じなんですかね。

いちお、他人の動向も気になるので、車内での、通勤サラリーマンのコート着用率をチェックしています。

 1割を切ったときも、自分はコートを羽織っていました。寒がりなんですね。



               *******



ネットで、お遊びの人生占いをしたら、自分の結果はこんなでした。 http://t.co/jzPJWSX  

 「 10代=喪失→ 20代=重圧→ 30代=祝杯→ 40代=快勝→ 50代以降=青空。 」


     う〜ん、当たっているような当たっていないような・・・。

          でも、30代以降がうれしい。



               *******



昼間疲れているせいか、あるいは寒い道を自転車飛ばして帰ってきたからか、お風呂に入ると必ず眠ってしまいます。


たぶん浴室の天井には睡魔がいて、湯気に紛れて降臨し、僕をすっぽり覚醒の世界から覆い隠すからでしょうか。



人が僕のことを思ってくれるから自分が存在する(ネーティヴ・アメリカンの言葉)。

 誰も僕のことを思ってくれなかったら、自分は消えてなくなってしまうだろう。

風呂上りの鏡にきっちり自分が写っていた。ありがとう、きっと誰かが僕を強く思っていてくれてるにちがいない。



               *******



先週末、シンガポール・シーフード・リパブリックでワイン会をしました。

シンガポール・リパブリック.JPG


シャブリ、ソービニオンブランなどワインもたくさん飲みました。料理もおいしいし、会話も楽しかったです。


みんな、蟹をいただいたりするので、エプロン姿でした。

エプロン.JPG


チリクラブについてきたタレが超おいしいと、ライスを注文した友達から、ごはんをもらったら、細長い東南アジアの米で、炊き上がりの匂いがすごくエキゾチック!嬉しくなりました。

チリクラブ.JPG


食事の〆はやはりデザートです。自分はアールグレイのクリームブリュレにミモザのキールロワイヤルにしました。

デザートキール.JPG

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2011年04月20日

全羅南道へ。


4月8〜11日、前から行きたかった、朝鮮半島南西部に行ってきました。

古来より伽耶の国とか百済とか呼ばれて、日本と親交が深く、戦前は日本人が多く住んで、いまだに和風の家屋が残っているといわれる木浦が目的地です。


羽田国際空港が出来て、超便利になりました。
金曜日仕事を済ませてから出かけられます。

本当は、月曜日早朝に戻ってくるつもりが、あまりに遠いので、移動時間を考え、月曜日休みを取って3泊(1泊は車内)にしました。


金浦国際空港に着いたのは、夜10時半。
飛行機を降りてすぐ、放射能検査のゲートを通りました。やっぱ日本からの入国は厳しい。

そこから地下鉄で、高速バスターミナル駅向かうのですけれど、よく分からないので、インフォメーションで聞き、地下鉄9号線に乗る。

が、切符がうまく買えない。1万ウォンが使えないとか。
こんなことをしていてすでに夜の11時。

ただ、親切な人ばかりで、切符の買い方を教えてもらったり。

地下鉄路線図.JPG

チケットの自販機には日本語表示があるので、あとは行き先の駅番号さえは覚えてればOKでした(後になってわかった)。


地下鉄で走行中でも、携帯のアンテナはばっちり3本立っていました。駅に着かなきゃアンテナが立たない日本、遅れているぞ!

地下鉄のアナウンスは基本的にハングルと英語ですが、大きな駅だと日本語も入ります。「次はナムサンです。○○線はお乗換えです」みたいに。


バスターミナルに到着。セントラルシティという巨大な建物の中。光州行き切符売場に並びました。やっとチケット購入。27500ウォン。日本円で2300円ぐらい。目的地まで290キロ。
0時30分のバスには間に合わず、40分のが買えました。少し高いが一般席ではなくエクセレント席を購入。にしても10分おきにバスが出て行くとはすごい。もちろん光州ばっかりじゃなく。

車内は一列3席。かなりゆったりですが、トイレとかはありません。ほぼ満席。オヤジ連中が大きな声で咳をしたりで、多少マナーが悪いのが気にはなりますが、さあ、一路光州に向けて出発だ。


高速バスは2時間ほど走って、途中、サービスエリアに寄りました。トイレに降りたら、身が引き締まるほどの寒さ。息が白い。セブンイレブンでスナック菓子を買いました。



光州市には3時40分到着。ちょうど3時間。この時間では何もできないので、バスターミナルの広い閑散とした建物内の椅子で夜明けを待ちますが、なにせ寒い。

光州バスターミナル.JPG

ただ、光州(韓国第4位の大都市)までくれば、木浦まで80キロ足らず。あとはなんとでもなります。


僕は名うての(?)花粉症ですが、韓国に来ればすっきりと鼻づまりや目のかゆみはとれるだろうと楽観していたのに、一向に改善されません。ま、まだ着いたばかりですけれど。
ともかく鼻づまりがひどい。

この国にも花粉があるのか、あるいは単に症状を引きずっているだけなのか。明日ぐらいになれば分かるかもしれない。


公衆トイレは、今のところおおむね清潔で、すべて水洗でした。ただ「大」のほうに、必ずゴミ箱が用意されており、使用後とみられるトイレットペーパーが大量に捨てられていました。これって、中国と一緒?



なんとか最終目的地、木浦にたどり着いたのは、まもなく6時半になろうという時間でした。なのにまだ空は薄暗い。

こんなに東京から西に離れてるのに、東京と同じ時間(時差なし)っていうのもなあ。
いや、もちろん、こちらが普通で、東京がおかしいのだ。いつもおいら言ってるよね。


まずは朝飯。焼肉屋みたいのしか開いてなかったし、それも7時にクローズとのこと。深夜で営業してたんでしょうね。

時間は30分ぐらいしかないけど、まずは、マッコリを注文(朝からかいっ)。キムチやカクテキ、ほかのつまみも出してくれた。
現地の人たちはみんなオールで遊んだ連中らしく、けっこう鍋を前にお酒を飲んでいる。

モッポマッコリ.JPG


そのあと、まだ早いし、睡眠不足なので、サウナを見つけて入ってみました。
日本とシステムは一緒です。靴磨き屋さんがいたのが面白い。現地の人たちの見よう見まねで風呂に入り、仮眠室に行きました。

そこは老若男女みなオンドルの床に思い思いに雑魚寝です。木製の枕にタオルを乗せてあちこちを頭にして何の法則性もなく寝てます。これには驚いた。
でも少しうとうとできました。



10時過ぎにそこからはやっと這い出し、海べりへ出てみました。天気がよく空気が超爽やか。

皮ジャケットの下にワイシャツと薄いVネックセーターを着ていましたが、Tシャツでいいぐらい。この海は生まれて初めて見る、黄海。

春霞がかかっているが、快晴。陸では桜が一分咲き。黄色い韓国の名花ケナリが咲いていました。なにせ空気が澄んでいます。


小さな岬を回りこむようにして、海に張り出したウッドデッキの遊歩道を歩きました。傘石とかの木浦八景が見れます。

笠石.JPG

遊歩道の行った先には、国立海洋文化財研究所があり、ここは、鎌倉時代に中国から日本へ磁器などを運び途中沈没した船や、そこから引き上げられた品物が数多く展示されています。無料。


海洋研究所.JPG


研究所の見学が済んで外に出ました。勉強になった。この辺はミュージアムが集中した地域。歴史や文化を大切にしている風土がうかがえます。



そうこうしてるうちにお昼になったので、これから登ろうと思っている山の中腹にある韓定食の店に行きました。丘の中腹にあり、とても景色がいい。麓には昭和の日本家屋が点在しています。
ハンミルという僕好みのこじゃれたレストラン。

中腹レストラン.JPG


さて、お腹いっぱい食べたので、目的の山、市街地を見渡せる儒達山に登ることにしました。
途中、日本と戦った勇将、李舜臣将軍の銅像があったり、ここ出身の有名女性歌手李蘭英の碑があって、日本の歌謡曲か演歌のような歌が流れていたりしました。


土曜とあって大勢の行楽客が出ています。

儒達山山頂(228m)からは、晴れ晴れとした市街地を一望できました。横にはさらに高い岩山の峰があり、なかなかの景勝の地です。

儒達山からの眺め.JPG


この全羅南道は古くは百済の国で、大和朝廷とのつながりが深かった所。
日本に漢字や儒教を伝えた王仁(ワニ)博士の遺跡址はぜひ訪れるべきとのことで、40キロも離れたその地を尋ねました。桜はまだまだ。でも行楽客がたくさん出てました。



さて、そろそろ夕方、木浦に戻り、街の真ん中あたりで海に面した新しそうなホテルを探しました。

時間ばかりかかり、やっとフロントで話がついたのが7時。けれどまだ昼のように明るい。いいなあ、これが本当なんだよ。目覚めよ日本人!

ホテルはシャングリア(ラではない)ビーチホテル(笑)。

シャングリアホテル.JPG


フロントで美味しい店を聞いたら、結局刺身だった。気は進まなかったが行ってみました。海岸のすぐ前で、どんどん刺身や得体の知れない海のものが出てきました。だって、コースっぽいのしか頼めなかったんだもん。
でもまあ、うん、全部は無理だったが、ハイトのビールには合ってました。

そして2日目の夜はもうそのままホテルに帰ってひと風呂浴び、ぐっすり寝てしまいました。


ガスっぽい朝.JPG

翌朝は快晴でした。8時を過ぎてずいぶんガスがひいてきました。もともと木浦は霧が多いことで有名です。黄海の海水温と陸地の温度に朝方、差が出るのでしょうね。
昨日の朝、光州から来たときもすごい霧の中でした。

花粉症が今朝になっても治りませんでした。日本ほどじゃないけれど、やはり木浦にも花粉があるのかもしれません。こんなに空気が澄明なのになあ。


いったんホテルをチェックアウトし、まずは近くに朝粥を探しに出ました。
それらしい店に入り、頼んだのがファンテフェジャンクク?というもので、そこの名物でした。写真が出ているからお粥だと分かるものの、どんな料理かの意味はわからんです。

なんとかいうお粥.JPG

いちお、こう見えておいらはハングルの読み書きができます。えへん!
去年の夏、1ヶ月、ユーチューブで勉強しました。でも読めても意味はさっぱり分かりません。

分からないなりにとても美味しかったです。



そこから務安という町に来てみました。
ここの路地ではタコを売る店が軒を並べています。僕が歩くと、店頭のおかみさんが次々声をかけてきました。

務安.JPG


そこからさらに足を伸ばすと、曽島という世界遺産の塩田があります。ものすごい広大。黒い木造塩倉庫がずうーと並んでいます。

曽島の塩田.JPG

今日は曽島での昼食後、木浦には戻らず、光州へ出てきました。
これなら明日高速バスで一気にソウルに帰れます。明日中には、帰国の予定なので。



光州に出ると桜が満開でした。
街の中心部に行き、ラマダホテルに直接交渉して泊まることに。

ラマダホテル.JPG

夕食はそこから歩いて行ける大きくきれいな焼肉レストランへ。もう魚には辟易してたので、やっぱ食べ過ぎてしまいました。

きれいな焼肉や.JPG

韓国最後の夜は、これで終わりにしちゃいかん!と思って、ホテルのフロントでマッサージを頼んだら、出張マッサージというのはないんだそうです。それでまた街をうろつくことに。

ただ、按摩と書いてあるのは、マッサージではなく、その手のものなので気をつけてくださいとのこと。
けっこう目に付くんですよね。ハングルが読める功罪?いや、日本語でも書いてあるぞ!


最初、安全そうな中国式というのに思い切って入ったら、どうも怪しげ。しかも誰も出てこない。

なのでその同じビルの上の階のタイ式というのに行きました。

ここは受付もしっかりしていたし、お客も次々いたので、ちょっと安心しました。
90分60000ウォン(4200円)ぐらいでした。
ホントに素直にタイ式マッサージでした。



翌朝、光州は雨上がりの曇り空でしたが、空気が澄んでとても気持ちがいい。

鼻づまり解消されないもののかなり花粉の量は少ないと思います。

ホテルをチェックアウトし、タクシーで、高速バスターミナルへ。


ソウル行きバスは、7時10分発。これは中クラスのシートで25000ウォン。約2千円。

出発前に満席となりました。これも10〜15分置きにバスが出るからすごい。

高速バス.JPG

高速バスは、途中のサービスエリアで休憩。3日前に停まったSAは、雑然として、あまり清潔とはいいがたかったが、今日のは、日本のサービスエリアに良く似ていて、機能的できれいでした。



10時半にソウルバスターミナル着。迷いに迷って、地下鉄3号線の切符を買いました。これから空港チェックインまでの時間を、ちょっと市内見物へ。

景福宮へ来てみました。何度もソウルは来ていたのにここは初めて。

景福宮.JPG

いやあすごく広大で、素晴らしい。とても短時間では観られないほどですね。

景福宮での衛兵交替ショーも観ることが出来ました。これは圧巻。カラフルで美麗な様式美。

交代劇.JPG


タクシーで明洞へ。ものすごい混雑です。タクシーが人波を割込むようにやっと明洞の路地へ入ってゆく。

ミョンドンの一角.JPG

明洞でランチをすることに。探して、サムゲタン専門店の百済参鶏湯に入りました。美味いなあ。コラーゲンもたっぷり。このお店お薦めです。OBビールもいただく(*^。^*)/。

サムゲタン百済.JPG

明洞でゆっくりしたわけではないのに、地下鉄の乗り換えでまごついたり、仕事の電話がかかってきたりで、金浦空港にたどり着いたら出発1時間前でした。すごい焦ったが、係員の機転で別ルートでチェックインさせてもらえました。そのKALの係員、長身の超美人なのです。
いかん鼻の下が。


これで、全羅南道旅行記はおしまいです。

韓国についてずいぶん自信がついたので、また色んなところへ行ってみたいと思います。


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posted by のんちゃん at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | OVERSEAS

2011年04月06日

弥生から卯月へ


桜の咲くまでの時期の、季語の使用度では、コブシ(辛夷)よりレンギョウ(連翹)の方が多いようです。

ある日ツイッターを見ていたら上手い俳句に出会いました。ちょっと違っていたかもしれないけれど、こんな感じでした。


    連翹や想いを量る散歩みち


上手いですね。

まねをしてみましたが、僕ならさしずめ

    遠回り今朝の通勤花辛夷 のんちゃん

といったところでしょうか。




ここのところ仕事が延期になったり、中止になったりで、時間的に少し余裕が出来ましたので、仕事中でもちょっと散歩ができたりしました。



3月29日、赤羽橋近くのビルに用事があったとき、地下鉄の乗換えが面倒で、六本木一丁目へ出て、そこから歩くことにしました。


まず、僕のお気に入りの散策路を通って神谷町へ向かいます。

暖かくて風もなく気持ちいい日で、泉ガーデンには山桜も咲いていました。

泉ガーデン山桜.JPG


でもそこからの小道のソメイヨシノは、まだつぼみでした。でもこの暖かさならまもなく開花するにちがいありません。



目的のビルは、とうふ屋うかいのすぐ横のほうでした。

とうふ屋うかい.JPG

せっかくなのでランチに寄りたかったのですが、一人だとどうしても敷居が高くなります(>_<)

すぐ後ろには東京タワーが。

ここは時間的に無理なのでパスして、「江」で有名な増上寺へ向かいました。

昼休みを利用して出てきて正解。(o^∀^o)

増上寺には牡丹桜が。あ、これは垂れ桜かも。

このお日和で人出が多く、縁日のようににぎわっていました。



奥に行くと、徳川家霊廟前に四面菩薩があり、お香の匂いと沈丁花の香りがしていました。

四面菩薩.JPG

この奥に江が400年の眠りについているのです。いい日和に訪ねられたことに感謝。

さらに本堂の裏手に回り込むと、皇女和宮ゆかりの茶室「貞恭庵」が。こじんまりしていい雰囲気でした。




3月30日、先生から安否を確認する手紙をいただいた。春の色と春の言葉がいっぱいの手紙でした。

先生からの手紙.jpg

季語で「花」と言えば「桜」なんですよね。オフィスのわたせせいぞうさんのカレンダー。「花に酔い花と踊った花明かり」

わたせカレンダー.JPG


3月31日、中央線で日野へ向かいました。

中央線って名称は、物理的(地理的)な意味であって、プライオリティの問題じゃないのね。

日野は、古くは甲州街道、府中の次の宿駅で八王子の手前です。

日野は土方歳三の生家もあり新撰組のふるさとと言ってもいいでしょう。中央線には新撰組のポスターがありました。

新撰組ポスター.JPG

日野駅に着き、迎えが来るまで少し時間がありましたので駅前の地図看板を見ていると、そには新撰組関連の案内がありました。



昼休みに、日野宿本陣を見に行きました。ただ時間がないので、正面の写真のみ撮りましたが今度ゆっくり見学してみたいです。

日野宿本陣.JPG

昼食には、日野館(やかた)に入ってみました。お蕎麦屋さんです。以前日野宿本陣にあり、由緒のあるお店です。

天つきせいろ。1550円。

お昼は蕎麦だけじゃもたないので、蕎麦豆腐黒蜜かけもいただきました。美味かった。




4月1日は直帰で、早かったのでユニクロに寄りました。デニムとコットンのパンツを2本購入。

デニムのは、ストレッチタイプなので28(いつもは30)でぴったりでした。少しスマートななった気がしました。



4月2日(土)は、宮地の客先へ。

宮地といっても、今はそんな地名はなく、荒川区荒川。昔この明治通りと尾竹橋通り、道灌山通りの交差点は、東京で最後まで残った「宮地のロータリー」として有名です。

宮地の仕事を午前中で片付け、都電で帰ることに。途中、王子に、レバテキの有名な中華料理屋があるので、そこへ寄りました。

レバテキ.JPG

生ビール、紹興酒をいただきました。



ランチが終わりまた都電の駅、王子へ歩きました。

途中渓谷があり、江戸の浮世絵などでは、両側に料亭が並び、桜の季節などは飛鳥山まですごいにぎわいだったらしいです。

王子の桜.JPG

その日も屋台が出て活況でした。桜は2分咲きといったところでしょうか。

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posted by のんちゃん at 18:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 俳句

2011年04月05日

EJST(東日本標準時)


僕はあの夜、大混乱の都内にいて、家に帰ることも出来ず、家族や実家とも一切連絡取れず、しかも5分ごとに襲ってくる余震に不安を抱えたままオフィスに待機していました。


その間、ずっとUSTREAMでNHKの中継を観ていました。オフィスにはテレビがないので、唯一の視覚的情報でした。中2の少年が発信していましたが、NHKは黙認してくれていました。ずいぶん気持ち的に助かった。



その翌日以降、不安を煽るメールが頻繁に来るようになりました。

曰く、石油コンビナートからの有害の雨、福島原発から200キロ危険、ガソリン枯渇、ミネラルウォーター、牛乳、卵がスーパーから消える、ティシュ、トイレットペーパー売り切れ。エトセトラ。

複数の発信主はもちろん分かっています。本人たちは一切疑義を感じず、この情報を一時も早くみんなに教えてあげようと思っているところに問題があります。

石油コンビナートの雨はともかく、物不足は実際そのとおりになってしまいました。米が消え、卵が消え、牛乳が消え、トレペが消え、ついには水もなくなった。まだ納豆が皆無。




震災から20日間ほど、電車は間引き運転か、休日ダイヤで運行されていました。

ある日など、計画停電にぶつかり、3つ手前の駅で3時間も待たされるはめになりました。

タクシーは出払い、北風の強い寒い日で、歩く気もせず、駅近くの焼き鳥屋で時間をつぶしたりしました。

ところがこれがなかなか旨い店で、おつまみや(写真)、焼き鳥の盛り合わせに、生ビール、ホッピー白、ゆずみつサワーと一人で杯を進めてしまいました。

電車待ちやきとり.JPG

やっと電車が来ると店の人から報告があり、これで家に帰れるとほっとしました。

外に出ると、店長はじめ、従業員さんもわざわざ出てきて深々と頭を下げてくれました。ありがたいです。

この寒空の下、家にも帰れず、温かい食事も取れない人たちのことを思ったら、僕の足止めなどなんのことはない。風の強い空には、春の星が瞬いていました。


  被災地の無事ただ祈る春の星 のんちゃん  





うちのオフィスでは、BGMという意味だけでなく地震情報のため、少しラウディにFMをかけています。元気になる曲ばかが流れてすごく励まされる。岡本真夜TOMORROWだとか。

「フリーター家を買う」の主題歌、嵐の「果てない空」がそのまま被災された方々へのメッセージソングになっていたり。

敬虔な気持ちで聴きました。被災地の人も原発の人もみんな頑張れ!




それとテレビCMが公共広告機構にほとんど移って、すごくいいCMばかりになった。金子みすずのこだまとか、検診を勧めるのや、高校生がお婆さんの石段登りを助けるのや、挨拶のアニメの歌とか、本を読む知層とか、子供とのスキンシップとか。




今回の福島原発の事故によって僕達に突き付けられた課題。もう原発はごめんだという気持ちと、強制停電に伴う痛み。

今後半世紀は原発は出来ないだろうと思います。では、代替エネルギーはいったいどうしたらいいんだろう。

また以前の火力発電所のように、海外からコストのかかる化石燃料を輸入し、CO2を排出していかなければならないのだろうか。

省エネすれば済むではないか、というのは個人の考え、個人の使用範囲の話であって、日本の産業界からみたら、とても受け入れることの出来ない意見です。




僕は、夏の電力不足をにらみ、せめて東日本はサマータイム制を導入すべきではないかと思います。

そもそも、東京など東日本の時差は純粋な時間軸からすでに30〜60分ほど遅れているのです。本来「正午」とは、真南に太陽が来たときを12時とすべきなのに、西に傾いてからやっと正午となります。

明石に標準時を置いたためですが、関東や東北、北海道にとっては、その時間の正午はとても不自然です。


東日本(おおよそフォサマグナ以東)は、東日本標準時、EJSTを設けて、JSTより1時間早めに設定してもらいたいものです。

それによって、涼しい時間から働き、夕方早くに就業時間が終わることによる電力需要の平準化(ピークを重ねない)が、最大電力を抑え、供給能力を増やすことなく現状のまま行ける最良の道ではないでしょうか。


欧米で生活し、サマータイムを経験した人なら、たぶん、早朝からの清清しい気分で毎日を過ごし、アフタービジネスに、家族や友人や恋人との時間が持て、あるいはボランティア活動や学校に通ったり、芸術、スポーツ、趣味にいそしんだり、ゆっくり休養したり、いろんな遊びを経験したりなど、とても有意義に夏の日を楽しんでいたことと思います。

ただ、勤勉な日本人は、サマータイムと聞くと、拒否反応をしてしまいがちです。つまり、サマータイム・イコール・残業の構図が想起されるからでしょう。

それなら、サマータイムなど設けずに、ただワーキングタイムを思い切って2時間早め、6時ー15時としてはどうでしょう。

時間をずらすことなく、官公署が率先して実施して、企業や工場にもそれを促せば、真夏の酷暑の電力ピークをかなり制約できそうな気がするのですが。

posted by のんちゃん at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記