僕は子供のころ、晴耕雨読のような生活を夢見ていました。
日本や中国の古典文学や、英米のミステリーを読み、時折旅をしては、紀行文や詩歌を創るような生活。ま、食えるかどうかは別にして。
もともと文芸的なことが好きだったのです。
晴れた日には農耕に励みます。
できれば、あまり社会組織に組みしたり、競争ごとは避けて生きたかった。
しかし、現実は文芸的なものと真逆のベクトルに働き、唯物的で合理性に基づく職業に就くことになってしまいました。
このまま人生の半分を過ぎ、これではいかんなと思い、少しずつ軌道修正しようとして2つのことを始めました。
ひとつは文芸同人誌に投稿。もうひとつは俳句結社に参加したことです。
文芸同人誌は「がらんす」といい、反骨精神旺盛な仲間によって運営されていました。そこにひょんなことから僕のような日和見・プチブル(笑)が参加したのです。
創作するって、毎日がすごく充実していて楽しことでした。
いまや資金難と主宰の体調不良、編集長のスランプなどが絡んで、休刊状態です。
この主宰の家に先日同人仲間数人で押しかけてきました。
町田市。誰もが口を揃えて「神奈川県」というあの町に住んでいます。
駅から神奈中バス(!)で大きな団地へ。
主宰も奥さんも元気でにこやかに出迎えてくれました。
また「がらんす」復活の兆しです。
ぼくは「サイパン・ゴーストストーリー」というリアルな原稿をすでに書き上げていて、
机の引出しの底から、悲壮なうめき声を上げています「早く日の目を見せてくれ」って。
俳句もひょんなことから「久珠の会」という俳句結社に参加することができました。
名門の俳人の流れを汲む美人の先生が主宰です。どうせやるなら、熊親父みたいな先生より百倍いいかなとかの、不純な動機でした。
しかしやってみると意外に難しい。表面をなぞるようにさらりと詠んでいて、その底流にある人生の重みみたいのが感じられないと、それはたんに「ああそうですか」とか「だからなんなんだ」的な散文(報告)に過ぎなくなってしまい、読み手に感動を与えたり興感を得られなくなってしまうのです。
句会はいま、一ツ橋の学士会館(写真)と、吉祥寺で開催されています。
僕は出来るだけ両方に出席するようにしていますが、それぞれに選句の視点が違って面白いです。
僕の場合、吉祥寺はよく点が入りますが、一ツ橋はからきしです。
たとえば、蛇というお題で「蛇逃げて防火用水泳ぎきる」とやると、吉祥寺では面白いとばかりに点が入りますが、一ツ橋ではスルーされます。
つまり一ツ橋は正統的できれいなもの、吉祥寺は多少癖があっても玄人好みのものに分かれるのです。
いずれにしても、終わった後の反省会は欠かせません。一ツ橋は中華、吉祥寺は沖縄料理。
ひょっとしたらこれが楽しみで句会に行っているのかもしれませんね。
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